2021-05-27 第204回国会 衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会 第3号
南極については、やはり、人間が住まない、南極というのは手つかずの自然が残っている、大気や氷、海など地球環境を正確に捉えられる貴重な大陸でありまして、国家間で協力をしながら各国の観測隊が様々な研究や観測をそこで行っているんですが、大臣おっしゃるような貴重な研究材料であるオーロラや隕石を始め、地球の周りの現象を捉えやすいということで、南極は宇宙の窓とも呼ばれています。
南極については、やはり、人間が住まない、南極というのは手つかずの自然が残っている、大気や氷、海など地球環境を正確に捉えられる貴重な大陸でありまして、国家間で協力をしながら各国の観測隊が様々な研究や観測をそこで行っているんですが、大臣おっしゃるような貴重な研究材料であるオーロラや隕石を始め、地球の周りの現象を捉えやすいということで、南極は宇宙の窓とも呼ばれています。
その観測隊の苦難を描いた映画とかテレビドラマも日本で放送されましたけれども、国民が南極に親しみを持つことができているのは、国策として観測事業を続けてきたことにあるというふうに思います。
コロナ禍の制約の中でも、今期の南極地域観測隊は、越冬隊の交代や物資の輸送を着実に実施するとともに、一定の観測研究の成果を上げております。 この秋に派遣予定の次期南極観測隊においても、現在、文部科学省を中心に計画が検討されており、コロナ禍の制約を見据えつつではありますが、最大限の研究観測を着実に行い、引き続きの成果を上げられることを期待しております。
今いるみんな、観測隊その他のメンバーは国から派遣されてあそこにいると。元々南極大陸に定住していた人たちはいないぐらいの気象状況、それから地理的状況だと。ところが、北極、少なくとも北極圏には、沿岸の部とかそういうところには先住民族というのがいると、それが大きな、地理的には一番大きな当事者なんですよね。
私も文科省の南極地域観測統合推進本部の委員をさせていただいて、外部評価委員等もさせていただいてきたので、そういうものを毎年年二回ぐらい観測隊を派遣をするときに、その評価その他で非常に如実に感じるところです。 まだ北極についてはそういう事業が成り立っていないと。ようやく、先ほどから出ているGRENE、ArCS、ArCSⅡまで来たと。
こうした形態のままでは、過去において南極観測や原子力研究の導入、特に南極観測隊は、戦後十一年後に学術会議が是非とも南極観測隊をやるべきだということに強く政府に申し入れてそれが実現したわけでございまして、私も中学一年か二年のときに、南極観測隊「宗谷」の記録映画を学校の映画鑑賞で見たことありまして、大変感動いたしました。そういう輝かしい学術会議の歴史があるわけでございます。
この間、こういう話がありまして、ある小学校で、社会の記述テストで、日本は南極に観測隊を送り何をしたかという問題が出されて、ある小学生は、タロとジロを置いていったと解答したと。正しいですよね。つまり、本当に、対話というのは、どういう答えが出てくるかわからないわけですよ。 それで、それを、ではどうするのか。
昨夜、南極地域観測隊第五十四次越冬隊と第五十五次夏隊の帰国歓迎会が開催されました。大臣もお見えでありました。 今回の航海では、南極観測船「しらせ」が南極海で座礁するという観測史上初めての事故がありました。この修理には一定の予算が必要です。「しらせ」は自衛隊の艦船でありますけれども、この修理費用については文部科学省が手当てをする必要がございます。
そもそも、南極観測隊というのは所管はどこだったのかなと思うと文科省なんですけれども、環境問題が中心になってきている中で、文科省が引き続き所管していていいのかななんと思いながらも、やはり長い歴史があるということもあるかと存じますが、具体的に、環境保護とか環境調査とかいった意味で、環境省さんと文科省との連携、あるいは観測隊との連携など、どんな形で行われているかを教えてください。
○伊藤政府参考人 南極観測隊でございますけれども、これは昭和三十年に、日本学術会議の建議を受けまして、当時の文部省に南極地域観測統合推進本部が設置され、この本部のもとに観測隊が置かれたところでございます。
本法律案は、法律の規定に基づく一定の国外派遣組織に属する選挙人が国外において不在者投票を行うことができる制度を創設するとともに、南極地域観測隊に属する選挙人が衆議院総選挙及び参議院通常選挙のファクシミリ投票を行えるようにするものであります。
次に、南極観測隊の隊員のファクシミリ投票についてお尋ねを申し上げます。 ここで言う不在者投票者とは、「しらせ」の艦長さんですね、船長、それから観測隊の隊長になるんでしょうけれども、その管理者を任命するのは一体だれなのかということ。そして、当然ファクシミリによる投票ですので、個人の権利であるはずの投票の機密を保有する権利がどうなるのか。
○衆議院議員(佐藤茂樹君) 前段の部分は私が答えさせていただきまして、後半の秘密の部分については、提案者の岩屋委員の方からお答えをさせていただきたいと思いますが、まず南極地域観測隊員の不在者投票については、観測隊の隊長が不在者投票管理者となるわけでございまして、これは法の仕組みがこうなっているんですけれども、最初の段階で所管の大臣と総務局長が、これは不在者投票でもそうなんですけれども、指定をするという
それで、南極地域観測隊の方の投票についてのことに最後移らせていただきますけれども、今般の制度におきましては南極地域観測隊隊員のファクス投票が認められるわけですが、ただ、それは補欠選挙、再選挙は認められないと、このようになっているわけでございます。何ゆえそうされたのか、お示しください。
その主な内容は、 第一に、法律の規定に基づき国外に派遣される組織に属する選挙人のうち、一定のものについて、国政選挙及び地方選挙を対象に、国外における不在者投票制度を設けること、 第二に、南極地域観測隊の隊員等について、国政選挙を対象に、ファクシミリ装置による投票ができるものとすること であります。
また、南極地域観測隊の問題もございます。南極の厳しい自然環境のもとでは他の地域への移動もままならないため、南極地域においては投票用紙の送致を伴う通常の不在者投票の実施は事実上不可能でございます。 南極地域観測隊は、昭和三十一年以来、四十七次にわたり南極地域に派遣され、大きな学術上の成果を上げてきたものでありますが、その一方で、その隊員の選挙権の行使の機会は閉ざされ続けてきました。
ところが、この法案を見ますと、主な対象を、特定国外派遣組織の自衛官、それから南極観測隊に限られているわけです。 そこで事実を確認したいんですが、この南極観測隊について言えば、一九九九年、洋上投票の制度が設けられたときに当然これは想定できたものではないかと思うんですが、当時、国会で南極観測隊の投票についての議論があったのかどうか、選挙部長に答えていただきたい。
ちょうど五十年前、一九五六年から五七年にかけて、昭和三十一年から二年にかけて、国際地球観測年という、これは国連が声を掛けて、希望する国が十一か国、南極大陸に調査隊を派遣して、観測隊を派遣して一斉に地球全体のことを南極という象徴的なところで調べようということがあって、実は日本は参加したわけでありますが、その第一次南極観測隊に私は報道隊員という形で参加をいたしました。
もう五十年近く前、日本の第一次南極観測隊が南極へ行ったときに、実は私も隊員だったんですけれども、地球物理の専門家は、今のままでは地球が駄目になると、人類を始め生物が駄目になると真剣に言っていました。このスケールの問題なんじゃないかと思うんですね。 そういう意味でいうと、世界に向かってその考えを広げる役目が今我々にあるんです。
今、最近非常に問題になったようですけれども、実は五十年前、私は南極観測隊の隊員の一人として、初めて、第一回のときに南極へ行きました。当時、既に地球物理学者の隊員たちは、現状のまま放置すれば南極と北極の氷がみんな解けてくると、そうなると国土を失う国も出てくる、大変なことになるということを予測していたわけですね。
私は、実は南極へ行ったことがありますが、第一次の南極観測隊で、「宗谷」に乗って海を二か月航海してようやく到達するわけですが、その南極の海を見て、これはもうこれだと、こういう状況を保たなくちゃいけないんだなということを改めて思いました。日本の周辺の海と全く違う、このきれいな海ですね。
一九五六年十一月、日本は第一次南極観測隊を観測船「宗谷」で送り出し、昭和基地を開設いたしました。そして、六二年の第六次まで「宗谷」によってこの研究は続きました。しかし、以後、一九六二年二月より一九六六年の間、南極観測は中止されました。砕氷船「宗谷」は海上保安庁に属しておりましたので、「宗谷」を用いることは研究者の反対はありませんでした。
この結果、昭和四十年七月には新しい南極観測船「ふじ」が完成し、同年十一月第七次観測隊が編成され、南極に向けて出発いたしました。翌年二月には第七次越冬隊が成立し、昭和基地及び我が国の南極地域観測が再開されました。その後現在まで、毎年観測隊を派遣しているところでございます。
思いますのは、私自身の経験ですけれども、一九五六年、昭和三十一年に日本が初めて南極観測隊を送りました。実は、私自身がその隊員でありました、報道担当隊員であったんですけれども。
私、きょうここに自衛隊法があるんですが、自衛隊法の三条に自衛隊の任務が書いてありまして、きょうは傍聴の皆さんもおりますけれども、「自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、」ということが自衛隊の任務で、百条のところに雑則がありまして、大体、札幌の雪祭りの協力ですとか南極観測隊のお手伝いとか国賓の輸送とかいう百条の五ぐらいまでだったんですが
やっぱり船をつくるのに防衛庁でつくった方がつくりやすいという事実は、私は実は第一次南極観測隊の隊員でしたから、途中で「宗谷」がもう老朽船でだめになって観測が途絶えてしまったときに、それを再起するためには新しい砕氷船をつくりたいと。そのときに実は中曽根さんが協力してくださったんですが、防衛庁の方が予算が取りやすいよと。当時六十億円です。それで、「ふじ」ができました。
○オーストラリア国外務大臣(アレクサンダー・ダウナー君) (通訳) それは知りませんでしたのでおっしゃっていただいてよかったです、南極観測隊のことを。
日本の南極観測隊が毎年行きも帰りもオーストラリアで大変お世話になっていることを、私は第一回の南極観測隊員なものですからこの機会にお礼を申し上げます。
本委員会におきましては、同月十六日石井環境庁長官から提案理由の説明を聴取した後、質疑を行い、特に、環境保護に関する南極条約議定書の締結がおくれた理由、南極地域活動計画の確認制度における環境影響評価の実効性の確保、南極観測隊等の廃棄物処理の現状と対策等の問題点に関し熱心な論議が交わされましたが、その詳細については会議録を御参照いただきたいと思います。